World Wide Web に捕われる前のこと
流浪中 Phase 01

WWWこと、World Wide Webにたどりつくまでのはなし①です。世界規模のクモの巣から逃れられません。
Webの技術的な話ではなく、ただただわたしが流浪する話ですー。




もともとつくらずにはいられない性格で、フェルトをひたすら縫ってたり、ミシンを踏んでいたり、ゴム版画彫ってたりの低学年で、その後レタリングにハマって明朝・ゴシック文字を終始書きまくったり、終始取り憑かれているような集中力を見せるド近眼な社交性ゼロの子でした。
小学6年生でコンタクトレンズをしてはじめてご飯の粒粒を認識しました。
それまで色んな意味であんまり周りが見えてませんでした。そこからは、急に周りが見えたので意識が向きすぎて無駄に恐怖心が芽生えます。
まだ、パーソナルコンピューターなんてない時代のはなしです。その頃あったのなら・・・。もう10年くらい後に生まれてたら・・・と思う。。。あ、1977年生まれです。

統計のビジュアル化、インフォグラフィック的な、統計グラフのコンクールが当時中学生の頃にあり「少子高齢化」を模造紙にまとめたら賞をとり新聞に掲載されて、編集者の人から別途依頼されたり、友達に頼まれて切り込んだテーマで作成したもんだから入賞しちゃって朝礼で気まずそうな顔で賞状を受け取る友人(笑)という、今の自分から見てうらやましいほどのなにかを発揮していました。
夏休みに作詞作曲の宿題もあったな。怖くて何も言えなくて後悔しているみたいな曲でした。とにかく怖がっている(笑)
音楽なんて無縁だし、ピアニカで作曲してたし。クラス全員、カラオケもまだはやっていないのに自分で歌って発表するという。普通の公立中学校です。
そのなかで投票1位になった曲が合唱コンクールでクラスの歌として発表されるのです。そしてわたしの臆病後悔ソングが選ばれてしまうのです。今でもサビを覚えてる・・・。作詞作曲って強制的にやれって言われれば思春期な若者は誰でもできるのかもしれない。
あれはほんとに自分だったのだろうかと思う。夢かな?
若いというのは、断然スペックが高い。
あの頃私が危惧していた未来を今、のんきにむかえています。もはや怖いものがなくなったな。

そんな適性を大人の世界でも通じるほど伸ばせず、編集みたいなことに憧れたり、美大目指したいという将来に適用させるには遅すぎて、まったくファッションのファの字も連想させない自分なのに正反対のその世界に、なかばやけくそで飛び込んだのでした。
いまでもなぜそんなに適性のない気後れしまくる世界に・・・と思います。謎です。自分で選んだくせにそれはそれはえらい恐かったです。浮いてしまうほどの野暮ったさで、尖った個性的すぎるひとの中に入るわけで。
その頃のファッションを学ぶ場所はまだまだ盛り上がっている最中で学生生活ではさまざまな恩恵を受けました。バブルが弾ける少し前。大量生産ファストファッションはまだないころです。
野暮ったすぎることへの危機感が功を奏したのか、人より少しがんばれたのだと思います。最後の卒展では準大賞をいただきました。

その届かないはずの場所で評価をもらうと、人より深い谷間からスタートして先の見えない急勾配をダッシュで登っていた自分にとって、目の前にいっきに頂上が拓けたような感覚に襲われました。まさか、ファッションという無縁と思われた場で自分が。怖い!みたいな。。。
でも登頂したのかな。さて次は・・・みたなことになったのでした。

そうそう、きっと何でもいいのです。あなたはそれをできていますよ。と言われると達成感と共に途端に恥ずかしくなって逃げたくなるような。
頭おかしいわ。怖いとか、恥ずかしいとか思うタイミングが、おかしい。
これではなにも成し遂げることができません。達成感のハードルが、おかしい。
でもひとつ、未熟でも素材と道具があれば、自分一人でなんとかつくれるようになる!ということだけは達成させたと思っています。
あとは繰り返すのみ経験値を積んでいくのみというスタートラインまでは持って行く!ということには強い意志を持っていました。
とはいえ、そうそう、中途半端です。
でも、コンセプトやテーマを基に生まれるその複雑な服飾造形の工程を知っているということはとても大事です。

就職氷河期も重なって、面接行くとこ行くとこ「採用する気は無い」と明言されて、暇つぶしに面接されたり。
巡り合わせなので仕方ない。その時にはよい場所に出逢えませんでした。反面、いまでも大切な恩師と仲間には恵まれました。

そのままどこにも所属せず、独立したてのデザイナーさんのパターンをひかせてもらったり、コレクションラインを担当する縫製士さんのお手伝いを経て、飲食店で調理を始めました。
ホールの募集なのにキッチンを希望して入りました。調理はまったく未知。小さい頃から慣れ親しんだ針と糸から、包丁と鍋です。
でも、自分の中では違うこととは思えませんでした。素材があって、細かい工程があって、切って、組み合わせて、美しく仕上げて人前に出す。
そういった全工程がそれぞれ人によって違う。その個性や想いが興味深いのです。

まったく包丁が扱えず、しばらく洗い場です。洗い場も楽しかったな。サラダ場、ピザ場と昇格しても仕込みができない。ひとりで!というのが目指すところなので、包丁を使うファミレスの早朝仕込みと掛け持ちました。たまねぎのスライスが透けたらゴールということで、途中腱鞘炎で包丁もペンすら握れなくなりつつやっとこ達成しました。
たいして難しくないことでも、人より何十倍も時間かけないと覚えられないしできないのに、凝縮させようとするので身体壊してる・・・みたいな。
もう一つ飲食店を掛け持ちして全部で3つ。1年くらい、1日何もないという日がない時期がありました。なんてストイック。

学びに行ったファッション。店舗にゼロから飛び込んだ調理。
なにが違うかといえば・・・

  • お金を出すか、いただくか。
  • 教わると、教える。
  • 提供される人にダイレクトに繋がっているか、繋がっていないか。
  • 嗜好と必需

・・・など、これらについてはまたの機会に掘り下げたいです。

ファミレス、イタリアン、ハンバーガー、焼き肉、コーヒーショップ、ラーメンなど さまざまなすばらしいノウハウを構築しているおもしろい企業の文化と店舗とキッチンと人を見ました。なみなみならぬテンションとスキルを携えた人がたくさんいる店舗立ち上げの現場に関わることが、そのノウハウを吸収する楽しい経験となりました。

キッチンは導線や品質、次に効率が命です。あと無言でも通じる以心伝心のチームワークがたのしい。
フードコンセプトのコーヒーショップの新規立ち上げチームでの指導・アドバイスを担当した時のこと、売上を最大化できたようで賞をいただきました。
わたしに立場なんてないんです。ただのバイト。立場で仕事をわけず、適性を見つけその人の持つ叡智を活かしその活躍を評価する企業文化と育成機会を持つ場所でした。

・・・そうです、なんらかの賞をとる=なんらかの終了フラグ。もはや条件反射。

まだ、Webに辿り着かない・・・よ・・・。
この頃は、Windows XP ごろです。まだ目を向けることができず。手を出したら一途にハマることがわかっていたので・・・

つづく・・・