「人から見た自分」を知るということ

自分のことは自分がよくわかっていると思っているし、自分のことはよくわからないとも思っていたりする。

嫌だなぁという欠点はわかるけど、良い所・優れているところと考えると思考停止するような・・・。

先日、ある「つくる人」について文章をかかせていただきました。
とても、丁寧な仕事をされる方でした。
自身の個人としての活動について進むべきかと迷いがあったようでしたが、自身のことを語る文章を読んで「気恥ずかしさもありながら機は熟していたのだと、一歩進む力をもらいました」と。

自分を自分でジャッジする時、専門的な経験値を深めている人ほど「まだまだ!」とストイックに判断しがちで、何かしらの肩書を名乗り活動を始めることに躊躇してしまいます。




私は肩書を名乗り活動を始めるべき時は、いつでもいいと思うのです。
たとえ、未熟だと思っても。熟したと思っても。道半ばでも。
活動を重ねていれば、評価にさらされる。評価さえされないということもありつつ。。。
その状況に身を置く勇気を出し、そのチャンスとなるきっかけを逃さないことが大切で。

私は、Webを社会人スクールで学んでいる時「講師の人たちはwebもOfficeも教えていて、更に難解な質問にまで答えていてどんだけ勉強しているのか・・・。すごすぎるわ。自分には無理だわ。いや~無理。」と思っていました。どんなきっかけで講師などができるようになるのだろか?と思っていた私にまさかの「講師をしないか?」と声がかかるのです。
「ムリムリムリムリーーー!!!」とそもそも思っていたことへの扉が開いたのです。
信じられませんでした。ですが、一か八かで、飛び込みました。
やはり、その時の飛び込んだ勇気というかノリというか、その時の自分にはよくぞ決断をしてくれた!よくやった!とほめてやりたいです。
そして、何より感謝しているのは私になんらかの可能性を感じてくれた人がいたことです。

その肩書には力不足も甚だしいのですが、その肩書が人から見た自分であってその期待を裏切れないということが私をありえないほどに急成長させました。

人から見た自分の実力 > 肩書
肩書 > 人から見た自分の実力

実際に実力が肩書以上にあっても、肩書が実力に伴っていなくても、いづれも自分の力不足と感じることがある。かたや謙虚で、かたや図々しい?(笑)
でもどちらも、その差を埋めてくれるのは、自分以外の人の存在。

人から見た自分を知ることは嬉しいことばかりではないですが・・・

そんな人から見られる自分を知る機会をもらったりつくったりで、信頼できる人の自分への声を聴き、新たな発見や見えていなかった自分の可能性への気づきをもらうことは急成長するためのきっかけをもらうことなのです。

そして、私は謙虚な人にとってその差を埋めるような存在でありたいです。
それは、とても責任を伴うことでもあるけれど。